Profile

ハワイのノースショア

ゆりゆりプロフィール

1983/11/28生まれ 宮城県出身

高校卒業後、リゾートバイトで国内・海外を巡りSNSで世界の旅情報を発信し始める。

20代の大半をリゾートバイトで過ごした後、『もっと自分を活かした仕事はないかな?』とネットサーフィンで模索していた時、ブログ起業の存在に出会う。

Webコンサルのブログ添削を受けるようになって1ヶ月目で8,000円、2ヶ月目で3万円、3ヶ月目に85000円、4ヶ月目で月収16万円を達成。

 

【趣味】旅行(海外長期滞在)、ウクレレ、三線、カラオケ、写真

【好き】料理、海外ドラマ、インスタ、スピリチュアル、祭り、花火大会、お花、沖縄

 

詳しいプロフィールはこちら↓

高校卒業後の進路は『森に行きたい。』

軽井沢

忘れもしない、高校3年生の冬。

「ゆりは進路、どうするの?」たまたま飲食店でばったり再会した中学時代の同級生に聞かれて、

私は、反射的にこう答えた。

「森に行きたい」

・・まさかその一言が現実になるとは思わずに・・

翌年4月、高校も無事卒業した私は、本当に森(=長野県の軽井沢)に単身リゾートバイトで来てしまった。

ここに来た理由は簡単だ。”勢い”。それだけ。

私が卒業した商業高校は、大学に進学する人がほぼ居なかった。みんな高校3年生になると、事務員などに就職するために県内の中小企業に面接にまわる。

でも私はそんな人生嫌だった。学校で簿記を覚えて、そこそこの中小企業に就職して長年働く。

そんな未来は嫌だった。一生レールに乗せられてく気分。

だからと言ってやりたいことはわからなかった。けど海とか山、自然に対する憧れはあった。進路を聞かれて、『森に行きたい。』ととっさに答えたのは、心のどこかに、自然を求める声があったんだろう。

スーツケースひとつで単身軽井沢へ

スーツケース

軽井沢へ行く事になったきっかけは、地元仙台のショッピングモールに置いてあったフリーペーパー。

その求人広告の宣伝文句には、

“リゾートバイトしませんか?赴任地は伊豆や熱海などの全国各地の観光地のホテルや旅館です”

とあった。

その場に一緒にいたお姉ちゃんが一言、『伊豆とかいいじゃ〜ん♪海〜♪』

そのノリにつられて、思わず採用担当に電話してた。

ウキウキ面接場所に行くと、愛想のいいお姉さんが

『伊豆や熱海などは20才以上からの求人がほとんどで、18才でも勤務可能なのは軽井沢だけなんです〜。

・・長野県、海ないですけど。』

履歴書の志望動機に、『海が好き』と書いていた私は、ノリノリでこう答えていた。『オッケーで〜す♪』

 

ただ行ってみたかった。知らない土地に。

私を知る人は誰もいないという、感動!

 

面接から軽井沢行きまでは一週間だった。

必要なものだけをスーツケースに詰めて、生まれて初めて、知らない土地に行く。

生まれてから実家を長く離れたのは修学旅行の数日くらいだった私が、初めてたった一人で知らない場所に行き、知らない人と出会い、知らない土地で働き始める・・

そのすべてが新鮮だった。

新幹線の駅でこれから同僚となる人と待ち合わせして、軽井沢に着くと会社の人とミーティングしてから配属先へ。今日初めて会った同僚と、同じ部屋で暮らす。

・・この環境が私にとってどストライクだった。

『みんな私のことを知らない』そう思うだけで、テンションが上がり、ワクワクが体の中から込み上げてくる。

今日からどんな自分にもなれるし、なんなら今までと全く違うキャラを作っちゃうことだって出来る。(明るいバカという性格は、その後地球のどこに行っても変わらなかったが。笑っ)

会社の寮で相部屋になった子達とは同年代ということもあり、すぐに打ち解けた。

そして軽井沢のマイナスイオンはマジですごい。仕事でちょっと嫌なことがあっても、帰り道、森の中を通るだけで気持ちが癒されている。私は自然を満喫していた。

軽井沢のサイクリングロード

バイト帰りに、森の中にある別荘地をチャリで思い切り走っていた時に、笑いがこみ上げてきた時がある。

『なんで私、今軽井沢にいるんだろっ』笑っ♪

 

軽井沢での仕事内容は、ホテル隣接のレストランや朝食バイキングのウェイトレス。そこで出会った仲間たちには、夏は波乗り、冬はスノボを思いっきり出来る場所を求めて全国を渡り歩いている強者もいた。

初めて出会う友達と遊びに行くのも超楽しい。勤務が終わる頃には貯金もできてるし。

気付けば私はリゾートバイトの魅力にどっぷりハマっていた。

20代のほぼ全ての時期をリゾートバイトで過ごす

次の年から東京都の八丈島、沖縄など日本中の島を転々とするリゾバライフをスタート。

そして春から冬までは日本の離島で働いて、年末年始を含む3ヶ月は貯まったお金でハワイに住むという生活スタイルができあがっていた。

ハワイのコンドからの眺め

海外で働きたい!オーストラリアへワーホリへ

 

そんな生活を送っていたある年、私は鹿児島県の徳之島にいた。

鹿児島県といっても、奄美大島より南なので、琉球文化と薩摩藩の影響がミックスされた独特の島。

海は沖縄よりも深いブルーで、いい波が来るとあってサーファー達もリゾートバイトに訪れていた。

徳之島

その時の職場のメンバーが、偶然にもオーストラリアからのワーホリ帰りの人たちが多かった。

休日、海の見えるカフェでランチをしてる時に、オーストラリアの情報を彼女達から聞くと、

『オーストラリアは楽しいし、稼げるよ!ビザもすぐ取れるし♪』

 

その言葉を聞くと同時に、私は携帯で

〈オーストラリア ワーホリ ビザ〉とググっていた。

そして心が叫んだ。

『オーストラリアに行きたい!』

ワーホリビザを取れば、オーストラリアで一年間働くことができるんだ。

 

オーストラリアを働きながら一周しちゃおう♪!

夢のために捧げた2年

ワーホリ計画と書類

それから私は夢を逆算して考えた。

当時オーストラリアのワーキングホリデービザを申請できるのは31歳になる1日前まで。

 

そこから1年以内に入国すれば良いので30歳のうちにビザさえ取っておけば、

ギリギリ32歳の直前まで出発に猶予があった。(これを世間ではギリホリと言うらしい。)

 

ハワイではテキトー英語でやり過ごしていたから、今回はちゃんと勉強してから行こうと思い、

フィリピンで語学留学に3ヶ月通ってからオーストラリアに向かうというコースで行くことにした。

 

海外通のリゾバ仲間から、

『ついでにニュージーランドのビザも取っておけば?』

とアドバイスされたので隣のニュージーランドのビザも取得。

 

それから2年、留学費用と渡航費用などを貯めるために、がむしゃらに働いた。

2年後、フィリピン→NZ→オーストラリアへ

 

『オーストラリアに行きたい!』

そう心が叫んでから2年後、

私は成田空港の出発ロビーに居た。

 

ここまでの道乗りは決して楽では無かったから、

『夢って叶うんだな。』

そう思って涙が出た。

 

語学学校のあるフィリピンまでの飛行機チケットはセブパシフィックの就航セールでなんと7,000円台。

初めての東南アジアで、『治安が悪い』と聞かされていたので最初はめちゃめちゃ緊張したが、

フィリピン人の陽気な性格とスマイルですっかり馴染めた。

フィリピン

留学の途中、私の前世はフィリピン人のダンサーだと判明して大爆笑。

どおりでフィリピン人とは気が合うと思った。w

 

英語のレベルも4個くらい上がってルンルンで卒業し、

乗り換えで香港と韓国にも遊びながら寄り道して、ついにニュージーランドに足を踏み入れた。

ニュージーランドで言い知れぬ自由を味わう

経由地の韓国から11時間かけてニュージーランドに到着。

人生初の南半球だ。

高気圧で、空が高くて青い。

徳之島で出会ったリゾバ仲間がオークランドで働いていたので一緒にバーホッピングという大勢でバーをハシゴするイベントに参加し、

翌日は向こう岸のデポンポートまでフェリーで一人で渡った。

一人でオークランドの北側を散策。

途中立ち寄ったマウント・ヴィクトリアという小高い丘に腰掛けた瞬間、なんともいえない感動が押し寄せた。

ニュージーランド

私は今、たった一人で南半球にいるんだ。

そして今私がここにいることを地球の誰も知らないし、

明日私がどこの国へ行こうと私の自由なんだ。

私はその丘に座り、脚を伸ばしてただ、そこにいた。

 

そして全身で自由を満喫していた。

 

私はこの瞬間を一生忘れないと思った。

オーストラリア各都市を働きながら一周!

オーストラリア地図

そしてオークランドからオーストラリアに入国、やっと夢見たワーホリライフが始まった。

この日のために2年間頑張って来たんだ♡

オーストラリアでは主要な都市を働きながら一周しようと思っていて、

一つ目の目的地はメルボルンだった。

理由は南半球のオーストラリアの中でも一番寒い都市、メルボルンには夏のうちに行っておこうと思ったから。

日本とは季節が逆のオーストラリアは11月から夏。

メルボルンの空港に着いてからシャトルで街へ向かい、最寄り駅までの行き方を通行人にたずねた。

 

そこで一つ目の衝撃が私を襲う。

 

オーストラリアの人、

何言ってるか全然わかんない!!

オーストラリア人特有の、口を開けないで発音する英語が聞き取れなすぎて何言ってるか全然わかんない。

 

その瞬間、フィリピンでの3ヶ月の留学期間が、ガラガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。TOEIC800点以上の判定はなんだったんだろう。

オーストラリア訛りがこんなにキツいなんて、聞いてないよぉ〜!

 

果たしてこの街で生活して行けるのか・・と不安になったが、

 

仕事上の英語はなんとか聞き取れたので一安心。

私は高級住宅街の中の日本食レストランや、韓国人の経営する回転寿司店で働いていた。

ジャパニーズ・スシロールを何本巻いたかわからない。

お陰で得意料理が増えた。

 

そして貯まったお金でケアンズに行き日本から旅行で来た友達と合流して観光。

ケアンズ旅行

ケアンズで友人達と別れ、またひとり旅に戻りそのまま北の都市、ダーウィンへ。

初めて出会う原住民のアボリジニの民族楽器を身近に見れて感動する。

その次の目的地は『月への階段』で有名な小さな街、ブルーム。

オーストラリアの左上だ。

ブルーム 月への階段

ブルームには、ラクダの背中に乗って夕暮れのビーチを歩くという『キャメルライド』というアクティビティがあり、

その光景は圧巻だった。

ブルーム キャメルライド

世界中から旅行者が集まるバックパッカーに滞在し、ヨーロッパからワーホリに来てる友達と飲みに行ったり。

オーストラリアに来なければ出会うことがなかった友達と、たくさんの思い出が増えていく。

そして私は最後の都市、西オーストラリアのパースへ向かった。

パースへ  突然の闇が私を襲う

ワーホリ生活最後の土地に決めたのは、ワーホリ人からも人気が高いパースだった。

中心部は程よく都会で住みやすく、スワン川を挟んで向こう岸には歴史的な建物が並び、落ち着いた街の雰囲気もちょうどいい。

パースの街並み

 

ここでワーホリ生活最後の2週間を満喫・・

 

するはずだった。

 

なのに、

なぜか突然の闇が私を襲った。

 

それは、

『一生こうやって生きていくのか?』

という、軽い絶望のような気持ちだった。

 

オーストラリアでのワーホリ生活、確かに楽しかった。

この国での出会いはかけがえのないものだし、海外で過ごした思い出は一生モノの宝になる。

 

でも、それを終えて私に今、何が残ってるんだろう?

 

資格を手にした訳でもなければ、ビザが取れた訳でもない。

日本に戻ったらまたいつものリゾバ生活に逆もどり。

そして貯まったお金でまた海外に行く?

そういう生活を一生、送っていくんだろうか?

“日本で貯金して、そして海外でまた数ヶ月過ごして”を繰り返す。

確かに楽しい毎日だけど、そこに何が残るんだろう。

 

このままの生活のまま、生きていった未来をイメージすると、

“何もない自分”がただ、そこにいるだけ。

 

突然見えてきた未来のビジョンに絶望した。

 

帰国。このままでいいのか模索する毎日

 

楽しかったワーホリ生活から帰国後、

また日本の離島に戻って働き始めた私は、パースで抱えたモヤモヤがまだ頭の中から離れていなかった。

 

それは、『なんにもない自分』に襲われて苦しくなったからだ。

 

今までの人生、貴重な経験をいっぱいしてきた。

 

でも、短期のリゾートバイトでお金を貯めて、貯まったお金で海外に住む生活を続けていくだけなら、

そこで得るスキルは何もない。

ずっとそれの繰り返し。

 

リゾートバイトを始めたばかりの時はそんな生活が新鮮でキラキラして見えたが、

今は少し、くすんで見える。

 

そういえば私の人生で、『これで生きていく』っていうものが何も無かったな。

 

もっと自分を活かした仕事がしたい。

 

そんな悶々とした悩みを抱えて普段通りのリゾバ生活を送っていた私は、

いつもの休日、ネットサーフィンをしているとき、ある職業の存在を知る。

ブログ起業というシゴトとの出会い

ブログで起業する

『次はどこの海外に行こうかな〜♪』と何気なく見ていた旅ブログの記事、

そのサイト内を読み進めると、

<旅をしながらブログで稼ごう!>というページにたどり着いた。

書いた人は、家族4人で世界一周をしながら、ブログの広告収入で生活しているらしい。

『そんな世界があったんだ〜。』

興味をそそられた私は、

『ブログの稼ぎ方』をどんどん調べてみた。

すると、同じようにブログで生計を立てている人が、この世には結構いることに気づいた。

ブログとプログラミングの兼業で東南アジアの国々を巡っている20代のノマドワーカーや、

育児とフルタイム勤務のかたわら、スキマ時間で月数十万円の利益を生み出しているママブロガーなど、

この人、すごい!という人がネット界隈には沢山いる。

 

『私にもできるかも・・』

思えば、mixiが流行ってたころから発信するのは好きだったし、その前はlivedoorブログもやってたな。

『これなら、自分を活かした仕事ができるかも!』

心がウキウキしてきた。

私の中で、ウキウキは『その判断は正解!』のサインだ。

自力でブログを立ち上げ、アドセンス合格

グーグルニューヨーク

それからネット上で情報を集めていると、どうやらブログで稼ぎやすいのは、

Googleが運営する、

『Google AdSense グーグルアドセンス』という広告プログラムらしい、ということがわかった。

その仕組みはこうだ。

自分のブログにGoogle AdSenseの広告を貼り付けて、その広告がクリックされると、1クリックで数10円の収益が発生する。

ブログが何万人かに見られれば、1日に数万円の収益を出すことも可能らしい。

Google AdSenseの広告を自分のブログに載せるには、グーグルの審査に受かる必要がある。

そしてアメブロなどの無料ブログは登録できないので、自分でサーバーをレンタルしてドメインを取得し、ワードプレスというソフトウェアを使ってブログを作る必要があるという。

『ドメイン?なにそれ?』

という“ネット超・初心者状態”だった私も、

ネット上の親切な人が解説してくれた記事を参考に、見よう見真似でサーバーをレンタル、ドメインを取得、ワードプレスをインストールしたら・・

できた!自分ブログが!

出来ないことを出来るようになるのはやっぱり楽しい♪

次はGoogle AdSenseの審査だが・・

誰でも受かるという訳ではなく、何度か落ちる人もいるらしい。

なので私は万全を期し、Google AdSenseのホームページをチェックしたり、『アドセンスに合格するには?』というwebページを研究して、ブログ記事数30記事で申請。

そしたら一発合格^ ^

やったぁ〜!

 

私のブロガー生活がスタートした♡

1年目:ブログ年収800円?

それから私の趣味はブログになった。

タイのバンコクに滞在中も、毎日1記事更新を目標に、ブログを書きまくっていた。

自分の好きなブログで収益が入るのは初めての体験。最初は数10円でも『ぉぉっ!』ってなった。

初めてブログ収益が100円になった時は超嬉しかったな♡

そして、日本などにいる離れた友達からも、『ブログ見たよ♪』『面白かった♪』の声をもらってますます嬉しい♡

 

だが、

ブログ収益はそれ以上伸びなかった。

 

1ヶ月、2ヶ月更新を続けても、トータルの収益は数100円程度。

 

『ほんとにブログで稼げるの?』

 

そんな疑問を抱え始めた時、

 

ブログ起業家達のオンライン・コミュニティの存在を知った。

『このまま我流でやり続けても、成果が出ないかも・・』と内心感じていた私は、

『年収800円で終わるより、挑戦してみよう!』

とそのコミュニティの門を叩いた。

2年目:ブログの月収が16万に

コミュニティに参加し始めたものの、

最初の約6ヶ月間は本業の仕事やパートナーの転勤などでゴタついて一時ブログを中断していた。

そうしてようやくブログに集中できる環境が整ってから再スタートしたブログ業は、

プロから添削を受ける事によって激変した。

検索をした人がどうやって自分のブログにたどり着くのか、自分のブログを訪れた人にいかに価値提供して満足してもらうかなど、

ブログ運営に必要な情報を正しくインプットして日々更新を続けていると、明らかにページビュー数が上がっていった。

 

コンサルを受ける前、そんな知識も無くひたすらブログを更新していた私は、

なんの装備を持たずに富士山を登山しているようなものだった。

 

それからは毎日書いたブログを添削に出していった結果、

1ヶ月目で収益が3,000円、

2ヶ月目で27000円、

3ヶ月目で85,000円、

4ヶ月目には160,000円と、

右肩上がりで収益が伸びたのだ。

『ブログって稼げるんだ〜。』

年収数100円だった時には、信じられなかったけど、やり方を間違えなければ、

確かにブログで稼げる世界は存在する。

そう身を持って体感した瞬間だった。

ブログ起業のメリットは他にもいっぱい!

実際に私がブログマネタイズに取り組むようになってわかったのは、

ブログ起業という働き方で得られるメリットはブログ以外にも多岐にわたるという事だ。

いくつか挙げると、

①ネット起業はブログ運営に留まらず、いろんなスキルが身につけられる

例えば、

•自分のWebサイトを運営することで、プログラミングのスキルも身につく

→その知識を活かしてWeb製作業務やブログコンサルをすることもできる。

•アクセスを集めるブログを作ることで集客=Webマーケティングの知識も学べる

→企業からWeb集客・法人コンサルの依頼が来ることも。

 

②時間や場所にとらわれない

•育児中でも海外滞在でも田舎でもできる

ブログ起業はPC一台とネット環境があれば、海外でも過疎地でも、どこでも作業ができるので、

→育児中で家から出れない、パートナーの転勤が多くて定職に就くのが難しい、海外在住等の場合でも、場所に対してなんのハードルも無くビジネスが始められる。

•決まった時間拘束されないので通勤時間や行列待ち、予定がある時は調整したり自由自在

→通勤中の電車の中やふと『暇だな』と思ったスキマ時間にも、携帯にブログ記事の下書きを書きこむことで作業ができる。

③人間関係でのストレスが皆無

•職場の人間関係に悩まなくていい

→仕事以外の事にエネルギーを奪われることがないので100%のエネルギーで仕事に臨める。

など、ブログ起業で得られるメリットは計り知れない。

 

この仕事に出会えるまでは、

空っぽだった自分、『何も手にしてない自分』に襲われて苦しかった日もあった。

でも今は、自分と向き合って、日々新たな課題に挑戦する毎日。

“スキル”は気づかないうちに、でも確実に、積み上がって行く。

 

オーストラリアのパースで、

『何にも無い自分』に襲われて絶望していた自分に言いたい。

 

『“私はこれで生きていく”って仕事、見つけたよ』って。

次のステージへ。自分の幸せは自分で掴むもの

パースの海

以上がゆりゆりのプロフィールでした。

今、私は、ネット起業という仕事を通して、自由な時間に働き、出張の多いパートナーにも生活スタイルを合わせられるという、

自由度と幸福度の高いライフスタイルを手に入れました。

もちろん、ビジネスでつまずくこともあるけど、それも“成長過程”なんだと思えば案外楽しむことが出来ます。

 

今の私の夢は、『いつか子供が産まれたら、一緒に海外で親子留学しながらいろんな国に行きたい』というものです。

夢は、いつも私に力をくれます。

 

そして今、私の半生を通して思うのは、

『自分の人生は自分でつかむもの』だということです。

これまでにいくつかのターニングポイントに立たされた時、

『あの決断をしていなければ・・こんな幸せに出会うこともなかった』という分岐点が多々あります。

 

その時、常に私は『こうなりたい!』という方を選んできました。

失敗ももちろん沢山したけど、

“挑戦”自体をあきらめたことはありません。

 

そして“失敗”の中には必ず、“成長への糧”が潜んでいます。

どっちにしろ、“挑戦”することで人は成長していける生き物なんだと思います。

 

そして、その“挑戦”すら出来ずに、モヤモヤくすぶって居る人がいたら伝えたい。

『人生は、自分でつかむもの』なんだということを。

“不本意な人生”に立ち止まっているだけでは、人生の主体を、自分以外のものに委ねていることになります。

 

どうか、自分の人生を、誰かのものにしないでください。

“自分の人生”を、自分の決断で取り戻しに行きましょう。

そして、少しの挑戦の連続で、人生は確実に変わって行きます。

 

 

このブログで、そんな人生を変える挑戦のお手伝いが出来たなら、

こんなに嬉しいことはありません。

『不本意な人生を変えたい誰か』の、少しでもお役に立てることを願っています。

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